金閣を焼かねばならぬ

三島由紀夫金閣寺』を読了。読了といっていいものか、何度も同じところを行ったり来たりし、眠たい目をこすりながら読んでいた。
1950年に起こった金閣寺の放火事件を題材にした小説。学校でも習う有名な事件だね。金閣は実際に見に行ったけど、これは再建されたものなんだよな。
主人公は自身の吃りに劣等感をもっていて、それが他人との通路を絶っていた。そんな彼にも二人の友人がいて、一人は光のような、自分と他者との通路をつないでくれるような明るさ(読めば事態は変わるのだが)を持つ鶴川と、自身の内翻足を徹底的に利用し、それを個性にまで高めている柏木。特に後者が非常に曲者で切れ者で、読んでいて感心と呆れが入り混じっていた。主人公との哲学的な会話は非常に難解で、俺の頭では疑問符があちらこちらについたのははっきり言っておこう。
主人公は頭の中に描く、美の象徴としての金閣がある。よくありそうなクサい手法に思えるけどそんなことはなく、この金閣は主人公がいざ女性に愛を持って接しようとした時に現れて、主人公の生への通路を絶ってしまう。これと実際の金閣との対比が徹底していて、文からなんとなく性格がうかがえる。
でもここから美を憎むようになったりしても、現実世界は特に何か変わっているわけでもないし、ましてや金閣が何かしでかしているわけでもない。認識のしかたの違いで、世界はがらりと変わってしまう。その辺の柏木の鋭さは異常に思えた。ハンデを持っているものを、こういう心理描写で描く人って意外と少ないんじゃないかと思う。柏木は実にいいキャラクターだと言わざるを得ない。
全体的に語彙が半端じゃなく豊富だし、禅用語も多いし読み進めるのは結構骨が折れると思う。しかし文の美しさは、これまで読んできた作家の中でもトップクラス。禅の公案(これが結構重要な話だったりする)なんかも出てきてなかなか面白い。読み終わったものの、理解には程遠い感じはびんびんするので、もっと研鑽してまた読みたいな。そう思える一冊だった。
ただ、衝撃を受けるほどの感動とか、そういうものは一切なかった。既存の枠組みを著しく脱しているようなものは感じられなかったというのが正直なところ。そうそう逸脱されても困るけど。
次は小説から離れて人類学の本とかを読もうかなと思っている。小説を読んでいると、素直に情報が入ってくる文がたまに恋しくなるんだ……。ああでも夢野久作ドグラ・マグラ』は下巻だけ手に入れたけど、そのうち上巻も買って読もうと思う。前から読みたかったし。安部公房もストックが3冊あるからしばらくは安泰だな。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)