安部公房『榎本武揚』

正直なところ、この作品を読むまでは幕末の騒乱はさほど興味の対象ではなかった。ましてや榎本武揚のことなど、更に考えたことなどなかった。
この作品は、私が北海道の厚岸を訪れるところから始まる。そこで私は旅館の主人から、船で護送中に叛乱を起こした囚人達が厚岸に上陸し、更に原野の奥で自分達の共和国を築き上げたという伝説をきく。私は始めこそ興味を示したものの、榎本武揚に心酔する旅館の主人がその話を、自分の憲兵時代に起こしたある事件に対する正当化に利用していると思い、不快感を示す。
やがて忘れた頃に主人から、榎本武揚に関するある資料が送られてくる。これには榎本武揚に関する意外なことが書かれていた。それを読んで、足がかりにしていた榎本武揚にまで裏切られたと思った主人は失踪してしまう。そこから私はこの資料について、注釈を加えながら筆を進めていく。
あとはほぼ最後まで資料と主人、私の注釈で進む。これを読んで思ったのは、決して事実の解明が目的ではなく、新しい時代への変遷と、古い時代への忠誠の対立という歴史的に普遍な事柄をうまく著し、むしろ人物はぼかしたままにして、想像の余地を広げているなということ。当然こういうのは現代批評にもなりうるし、自分のことを考える好材料にもなる。
私と主人は、安部公房自身の実話で、資料は虚実入り混じっているようだ。この部分ですでに安部マジックにはまっている。
ここに表れている普遍的な事柄ももちろんだが、今まであまり触れてこなかった幕末の志士達の生きた時代に興味を持ってきた。榎本武揚は時流をうまくとらえた人だなと思う。そして土方歳三は新しい波を理解して取り入れつつも、その足場には飛び移れなかった複雑な心情の持ち主だと思った。

榎本武揚 (中公文庫)

榎本武揚 (中公文庫)