岡本綺堂『鎧櫃の血』

三浦老人による昔話という形式をとった短編集。怪談色は薄くなっており、まともに幽霊と呼べるものは「置いてけ堀」くらいじゃなかろうか。もちろん非現実的な事件も数多くある。
岡本綺堂は、明治5年の生まれだ。彼の生まれた環境には、間違いなく江戸の名残があったし、年上の人は江戸を知っている人だった。自然彼の作品の中にも江戸の空気が存分に入っているのだけれども、今読んでもその入り込みやすさは素晴らしいと思う。文章の読みやすさだけではなく、当時の文化をわかりやすく解説しながら話を進めている。それを自然にしているのは、誰かが明確に語っているという形式だからだろうと思われる。
数ある短編の中でも怖いと思ったのは「下屋敷」。下屋敷にて、下女のつてで旗本の妻がある俳優を呼ぶというもの。最終的に彼は屋敷の侍に見つかり、長持ちの中にしまわれる。これだけで、彼がその後どうなったかなども書いていない。この諸行為が、あの淡々とした筆致で綴られるのがいい。
自分は幽霊の話はちっとも怖くはならないのだが、突然の発狂や、生きているか死んでいるのかすらわからないようなことには恐怖をおぼえることがある。そして、このような状況をうまく作り出せるのは、綺堂のような文章だと思う。
光文社文庫は、文字の大きさ・間隔が十分で、丁寧なルビの振り方もしていて読みやすい。

鎧櫃の血 新装版 (光文社文庫)

鎧櫃の血 新装版 (光文社文庫)