バルガス=リョサ『緑の家』

まず読んで思うのは、その構造の複雑さだろう。複数の物語が、時間軸もばらばらに展開されていく。しかし読んでいくにつれ、それだけのことで、実はひとつひとつの物語は非常に筋の通ったわかりやすい内容だ。文章自体も平易でわかりやすい。
この物語の主人公はと言われると考えこむだろう。様々な運命を秘めたボニファシアか? 緑の家を建てた張本人であるドン・アンセルモか? 強かに生き続けるラリータか? とても決められない。
さらに要約しろと言われたらかなりの長文になるのは必至だ。レアテギ達とインディオ達の取引や修道院での生活、フシーアの島、緑の家の大繁盛、マンガチェリーアに来てからのボニファシアなど、本当に沢山の人の、沢山の出来事が折り重なっている。
関心したのはとある人物の名前が、その前に出てきた人物の別名であったこと。これによって、そのとある人物には頭の中ではひとつの人格が与えられる。しかしその後、ある人物の別名だとわかると、とある人はその人に統合される。こういった見せ方は映像では非常に難しく、文学特有のものと言ってもいい。安部公房も『鉛の卵』でこういった想像上の錯覚を引き起こさせている。文学でしかできないことを文学で、という考えは好きなので、こういった手法はとても好きだ。
下巻になると、上巻では曖昧なまま終わっていた部分が次々と明かされていく。ホセフィノはなぜあんなに怯えていたのか、ボニファシアと番長達の関係は、アンセルモはなぜアントニアといたのか、チュンギータの出生のことなど……。
とにかく読むには、突拍子もない時間軸の交錯に惑わされないように、しっかりと話の筋を考えながら読むのが大事だと思う。メモをとってもいい。
でも惑わされるのもまた作品の一つの楽しみ方なのかもしれない。ラテンアメリカは、古代から現代までが混沌と入り交じっているのだから。

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)