福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

以前から、分子生物学への興味は持っていた。それは昔、ある対談で安部公房が「娘に、これからはコンピュータと分子生物学を学んでおきなさい、と言っている」という話からだった。どうやら、この安部公房の炯眼は本物だったようだ。
ただ、この本に関しては福岡氏本人出演のテレビ番組で知ったのが始まりだ。その時から氏は人間の体のミクロ単位での流動性についてしきりに語っていた。この部分が興味を持たせる要因になったかもしれない。
この本はそんな氏の主張をいかんなく発揮した本だ。それだけでなく、この本に特徴的なのはその文章のうまさだ。普段小説を読んでいる人は、この本が実に小説的なことにいやでも気が付くと思う。それが読みやすさを生んでいる部分があると思う。ただ、当然迂遠な表現も多くなるので、純粋に情報を得たくて新書を手に取る人の中には、もどかしいものがあるのもわかる。
本を読んでいて思うのは、研究の世界の厳しさだ。二位はないという言葉は特にその特質を思わせる。そしてその中を情熱を持って遺伝子の解明に挑んできた科学者の話などは、読者を引き込む力が非常に強い。
後半は福岡氏自身の実験に基づく話が中心となる。ひとつ疑問に思ったのは、遺伝子ノックアウトされたマウスに空いた欠陥を、動的な平衡がそれを修復するという氏の主張の部分が、科学的根拠を挙げておらず、若干推測気味なのが気になった。自分はまだ勉強を始めたわけではないので、現在それらの部分がどう解明されているのかはわからないが、このはぐらかしかたは少しどうかなと思った。
それから参考文献の一覧がないのも残念。入り口になりうる本ほど、こういうところに一層気を配って欲しかった。
ただ全体を見れば、実に面白い内容と言わざるを得ない。後半はやや専門的な話が濃くなるが、全体的に一般の人が十分読めるものだと思う。具体的にどのように遺伝子を操作するかを知る機会はあまりない。その上でこの本はひとつの視点を与えてくれると思う。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)