安部公房『夢の逃亡』

安部公房の中でも、長い間空白が多かった昭和二十年代に発表された短編を集めたもの。観念的かつ思想に満ち溢れた、おせじにも読みやすいとは言えない作品から、「デンドロカカリヤ」、『壁』に至る道筋がわかってくる。
前半は、特に「牧草」なんかは安部公房らしさもあまり感じない日本的な小説の雰囲気があるが、「異端者の告発」、「名もなき夜のために」あたりは非常に観念的で難解であり、読むのも非常に辛いものがあった。
この中で自分の好みと合致し、かつ安部公房のエッセンスが色濃く感じられたのは「薄明の彷徨」と表題作「夢の逃亡」だった。
前者は若者にありがちな迷いを、夜明け・薄明・黄昏に投影していて、同じような年代の人なら、面白さよりも共感が先に出てくるかもしれない。しかしそこで薄明を能動的に選ぶあたりが、実に安部公房らしい。
後者は名前としっかり鎖で結ばれている自分の本質が、その名前の不幸のために離れたがっているあたり、「S・カルマ氏の犯罪」を彷彿とさせるものがある。この非現実具合からして、その後の安部公房の話作りの萌芽を感じる。この短編は非常に面白いと思った。
いずれの作品も、名前というものに対しての疑い、否定があるように思う。それはその後常に異端であり、変革を求めてきた彼ならば、必然だったのかもしれない。

夢の逃亡 (新潮文庫 草 121-13)

夢の逃亡 (新潮文庫 草 121-13)