今福龍太『クレオール主義』

「十字路になりなさい」
境界文化における自己の存在証明について葛藤したグロリア・アンサルドゥーアの言葉だ。十字路とは様々な人や文化が出会う場所……。
安部公房作品を読んでいると、まずぶつかるのが境界の問題ではないだろうか。戦後、故郷を失い地に足つかぬ生活をしてきた彼にとって、それは非常に敏感な問題になったと思う。当然、その彼の作品を体験する読者も、漠然と関心を持つのも無理はない。エッセイなどを読めば移動と定住、ユダヤ人についてなども論じているので尚更だ。
その上で読んだのが今回の『クレオール主義』だ。著者は反本質主義的立場から、文化・人の混淆によって起こる文化について論じている。
南米やカリブ海における混血が示しているものは、西欧的なコロニアリズムの爪あとだ。やがてそれらは、クレオール化して西欧社会に強力な弾幕となって降り注ぐ。クレオール文化というものの抗う力というのはそれは強力だ。しかし同時にそれは、境界に生きる人々の葛藤も意味している。著者はその文化の交差点で自己を確立しようとした人々を文学、絵画、建築、音楽など、あらゆる分野から紹介している。特に文学はかなりの部分にわたっているので、その方面からクレオールに興味を持った人には格好の材料になるだろう。自分の場合、むしろ知らない分野である絵画などでたくさんの刺激をもらった。
挙げられた人の中で特に注目すべきは、この記事の最初に挙げたグロリア・アンサルドゥーアかもしれない。彼女の葛藤は、その表現言語を英語とスペイン語のハイブリッドなものにして、反翻訳精神を掲げた。おそらくどちらの言語を習得していても、彼女の深いところに入っていくのは難しいように思う。彼女の思考は、英語もスペイン語も、どちらも根幹にしていないだろうから。
クレオール文化について考えることはとりもなおさず、既存の国家について考えることにもつながる。国家に頼らず自己を保ち続けるのは容易ではない。しかし、自分自身の中にクレオール的な方位磁針を身につけることができれば……。自分の位置がわかっていれば、向かう先がわかっていれば、案外流されていくのもいいのかもしれない。
自分の立ち位置を探るという意味で、非常に刺激的な本だった。著者の洞察力、文章力に感心しきりだ。

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)