オラシオ・カステジャーノス・モヤ『無分別』

エルサルバドル文学だ。最近知った作家ではあるが、来日経験があり、更に安部公房大江健三郎の研究も行なっていたという、必然的な出会い。とはいえ新進気鋭というわけでもなく、それでも次世代を担う作家なのは間違いない。文学の成熟は時間がかかるのを痛感させられる。彼の本を読むのはこれが二冊目。とはいっても、前回読んだ『崩壊』と合わせて二冊しか邦訳はされていないはず。
ある民族が受けた大虐殺の報告書の校閲を頼まれた主人公が、酒やセックスをたしなみながら、仕事にとりかかる様子が大半だ。元々やや偏執狂的なきらいがある主人公は、その報告書の生き残りの先住民の証言を読むにつれ、そこに生じた詩情を敏感に受信する。詩を最も味わうには、やはり口に出さなければならない。彼は何度も印象に残ったフレーズを口にする。校閲という作業は、その対象の秩序の外から、それを見つめて直していく作業だ。しかし主人公は、そこにある報告書の秩序の中で、精一杯の体験をする。この作品は、実在の報告書をもとにして組み立てられた作品で、主人公がたどった道は、おそらく作者もたどっているはずである。『崩壊』においても、実在のサッカー戦争を題材に、文体を練り込んで創作している。ジャーナリズムを基底に置きながら、創作にも重きをおいたスタイル、ということが言えるかもしれない。リョサのリアリズムとはまた違った毛色で、味わいは非常に濃いと言わざるを得ないので、苦手な人は苦手だろう。
報告書を、虐殺を行った当事者が恐れるのは当然の話で、主人公はこのことに一層ナーバスになり、幻覚とも現実もとれぬ状態がしばしば現れる。そして一人称の限界を突破した段階で、物語はピークを迎える。そこに現れた虐殺の当事者、なお裁かれれぬ当事者に主人公は力の限り詩の一節を叫ぶ。
言葉が持つ力を再確認できる傑作なのは間違いない。

無分別 (エクス・リブリス)

無分別 (エクス・リブリス)