森見登美彦『有頂天家族』

森見登美彦、といえば阿呆な話を書く人、と思っている人も多いだろう。例外もあるが事実その通りだ。
有頂天家族』は主人公が人間ではなく狸だ。他にも天狗なども出てくる。人間もいることはいるが、特定の人達を除けばそこにフォーカスはほとんどあたっていない。
話の筋ではなく、世界観だけ考えれば、黒田硫黄大日本天狗党絵詞』と高畑勲監督『平成狸合戦ぽんぽこ』を合わせたような感じだ。実際天狗像なんかはかなり似通っているだろう。
狸にも社会がある。しかし人間のそれほど緻密で複雑ではない。彼らはちょうどよい阿呆さ加減でもって人間と天狗との三すくみの構造に組み込まれている。父親から阿呆さ加減を受け継いだ主人公は、苛立ったり、助けあったりしながら、長兄を奸計に陥れようとする叔父とその息子二人に立ち向かう。
自分が読んだ範囲では、森見登美彦の作品というのはいつもどこか抜けている。その中にあって『有頂天家族』は、構成も飽きさせることなく、うまく話を組み立てていた。ただ、やはりエンターテイメントの範疇からはみ出ることのない人だなというのも確信したのだが……。
そして森見作品の文庫を読んで思うのが、解説が解説として機能していない。今回は特にひどかった。本人にそのつもりがなくても、森見作品に中身がないような方向性に取られかねない。文庫版を買う人の中には、解説が楽しみで買う人も少なからずいるということを考えて欲しい。

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

中上健次『枯木灘』

血というものは難しい。確かに一族の結束は生む。しかし、その繋がり自身によって瓦解もするという危険も孕んでいる。
主人公の秋幸は非常に複雑に入り組んだ家系にいる。母親のフサは西村家の主人のもとで四人の子供を生み、浜村龍造との間に秋幸を生み、最後に竹原家に嫁ぎ、そこにも連れ子の兄弟がいる。そして浜村龍造の元には、フサの他に二人の女の間に子供がいる。
秋幸が暮らす共同体の、性器の象徴とも言ってもいい「その男(浜村龍造)」との血の繋がりが、秋幸にとっては非常に疎ましいものでもあり、かつ実の父親としての繋がりでもあった。
秋幸は自然との一体感、ひいては路地という土地全体との一体感を得ることで、かく在るという自己を確立する。そこには血に対する強い反感があるように思える。
そして秋幸は血に対して血で復讐をするが、「その男」は秋幸が思っているような人間なのかどうか、読了した今となっても考えている。
人間誰しも大なり小なり、自分の血筋に疑問を持ち、疎ましいと思ったことは恐らくあると思う。血というものの力は現代になって間違いなく衰えてきているが、今でも我々に結束の両面性をちらつかせているように思う。

枯木灘 (河出文庫 102A)

枯木灘 (河出文庫 102A)

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

以前から、分子生物学への興味は持っていた。それは昔、ある対談で安部公房が「娘に、これからはコンピュータと分子生物学を学んでおきなさい、と言っている」という話からだった。どうやら、この安部公房の炯眼は本物だったようだ。
ただ、この本に関しては福岡氏本人出演のテレビ番組で知ったのが始まりだ。その時から氏は人間の体のミクロ単位での流動性についてしきりに語っていた。この部分が興味を持たせる要因になったかもしれない。
この本はそんな氏の主張をいかんなく発揮した本だ。それだけでなく、この本に特徴的なのはその文章のうまさだ。普段小説を読んでいる人は、この本が実に小説的なことにいやでも気が付くと思う。それが読みやすさを生んでいる部分があると思う。ただ、当然迂遠な表現も多くなるので、純粋に情報を得たくて新書を手に取る人の中には、もどかしいものがあるのもわかる。
本を読んでいて思うのは、研究の世界の厳しさだ。二位はないという言葉は特にその特質を思わせる。そしてその中を情熱を持って遺伝子の解明に挑んできた科学者の話などは、読者を引き込む力が非常に強い。
後半は福岡氏自身の実験に基づく話が中心となる。ひとつ疑問に思ったのは、遺伝子ノックアウトされたマウスに空いた欠陥を、動的な平衡がそれを修復するという氏の主張の部分が、科学的根拠を挙げておらず、若干推測気味なのが気になった。自分はまだ勉強を始めたわけではないので、現在それらの部分がどう解明されているのかはわからないが、このはぐらかしかたは少しどうかなと思った。
それから参考文献の一覧がないのも残念。入り口になりうる本ほど、こういうところに一層気を配って欲しかった。
ただ全体を見れば、実に面白い内容と言わざるを得ない。後半はやや専門的な話が濃くなるが、全体的に一般の人が十分読めるものだと思う。具体的にどのように遺伝子を操作するかを知る機会はあまりない。その上でこの本はひとつの視点を与えてくれると思う。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

安部公房『夢の逃亡』

安部公房の中でも、長い間空白が多かった昭和二十年代に発表された短編を集めたもの。観念的かつ思想に満ち溢れた、おせじにも読みやすいとは言えない作品から、「デンドロカカリヤ」、『壁』に至る道筋がわかってくる。
前半は、特に「牧草」なんかは安部公房らしさもあまり感じない日本的な小説の雰囲気があるが、「異端者の告発」、「名もなき夜のために」あたりは非常に観念的で難解であり、読むのも非常に辛いものがあった。
この中で自分の好みと合致し、かつ安部公房のエッセンスが色濃く感じられたのは「薄明の彷徨」と表題作「夢の逃亡」だった。
前者は若者にありがちな迷いを、夜明け・薄明・黄昏に投影していて、同じような年代の人なら、面白さよりも共感が先に出てくるかもしれない。しかしそこで薄明を能動的に選ぶあたりが、実に安部公房らしい。
後者は名前としっかり鎖で結ばれている自分の本質が、その名前の不幸のために離れたがっているあたり、「S・カルマ氏の犯罪」を彷彿とさせるものがある。この非現実具合からして、その後の安部公房の話作りの萌芽を感じる。この短編は非常に面白いと思った。
いずれの作品も、名前というものに対しての疑い、否定があるように思う。それはその後常に異端であり、変革を求めてきた彼ならば、必然だったのかもしれない。

夢の逃亡 (新潮文庫 草 121-13)

夢の逃亡 (新潮文庫 草 121-13)

海腹川背アンロック

ようやく海腹川背・旬SE完全版の全部のおまけをアンロックした。最難関であるF57に安定の兆しが見えたので一気に追い込んだ形となった。どのみちF57のあとはF58しかないので、F57に到着すればコンティニューはし放題。F58は新ルートからも行けるので楽だった。F58は時間はかかったけど、コンベアを抜けてからは最後の振りあがりダッシュ以外さほど苦労はしなかった。
イカ全捕獲はF24ではなくF40で行った。多分多くの人がやっていると思われる3形態目を一番上で出して捕獲しながら降りるというもの。多少時間はかかったけど、パターン化できるので、苦労といったほどでもなかった。
自分は夏に買ったのだけど、一時期やっていなくて、ある時思い立ってやってみるとまた川背さん熱が復活してきた。それまではF42左ドアも行けなかったほどだ。F42は350回以上、F57は700回川背さんを海に落としてしまったが、やればやるほど安定してくるのがこのゲームの面白さでもある。そしていやというほど計算しつくされたステージ構成……本当に制作者の熱意を感じられるゲームだった。
しばらくはF57をやり続けるかもしれない。

海腹川背の消失

海腹川背・旬SE完全版のデータが飛んだ。DSiからソフトを起動した瞬間にデータの破損を知らせる画面が……。認めたくはなかったが、そっとプラクティスを覗いてみると、今まで頑張って開拓してきたルートが全て水泡に帰した。今まで手塩にかけて育て上げてきた川背さんが、一気に退行してしまったようなショック。
恐らく原因は接触不良だと思われる。次に起動した時にささっているソフトを認識しなかった。汚れがないか確認し、再びさしこむと認識した。
いっそのこと、しばらく封印してみようかなとも考えたが、考えて見れば海腹川背はアクションゲームであり、プレイ中の行動によって様々なおまけがアンロックされるしくみだ。もしかしたら前の状態まで持って行くのにそれほど時間はかからないのではないかと考えた。
その考えは当たっていた。四度五度とプレイしていくうちに次々とアンロックされ、ついに前の状態を追い抜き、今まで行ったことのないステージも拝むことができた。データは消えたけど、自分自身の腕は残っている。
今回はこのゲームだったからよかったものの、RPGともなると100時間超えしたデータなどはざらにあるので、そのショックは計り知れない。
今の時代でゲームデータが消えるとは思わなかった。これを機会に、もう少しソフトやゲーム機本体をいたわってやろうと思った。

海腹川背・旬SE完全版の進行状況

現段階で残すアンロックは3つ。全フィールド到達、全ドア制覇、イカ全捕獲だ。大体このあたりが残る人が多いのではないかと思う。
まだ行ってないドアは10以上ある。目標は年内に全てアンロックすること。おそらくできるとは思う。そして最後に残るのはイカ全捕獲ではないかと推測している……。

安部公房『内なる辺境』

主に正統と異端について語ったエッセイ集。とはいえ「ミリタリィ・ルック」、「異端のパスポート」、「内なる辺境」の三編しかないので、すぐに読み終わる。
人間の根源的な行動である定住と移動という観点から、正統と異端を導きだし、それを現代の国家で考える安部公房の観察眼の鋭さは相変わらず驚かされる。
自分はこの手の話はあまり詳しくはないが、反ユダヤ主義が「本当の国民(農民的定着性からくるもの)」という枠組みから外れたものを異端とした、それがユダヤ人のユダヤ的な部分であると分析した彼の判断にははっとさせられるものがあった。
安部公房の関心は、それらユダヤ人的なものが、都市的性格を孕んでいることに向けられている。これらは小説にも表れているから、本当に大きな問題として考えているのだと思う。そして、正統信仰に抗うため、現代の都市にある内なる辺境に期待をこめている。
特に都市というものに関心を持ち始めた頃の作品を理解するうえで、結構大事なことを言っているのではないか。また安部公房が影響を受けた人物が色々出てくるので、新たな枝も沢山伸びることだろう。

内なる辺境 (中公文庫)

内なる辺境 (中公文庫)